2021/06/04 備忘録
とりあえずザッと思ったこと(妹成分多め?)
・最近作業所行けなくて、でも色々あったし仕方ないよねって無理やり納得させてる
・向こう一年は再生期間として無理しないことにしました
・でも気を抜いたらアラサーなの超怖いね
・妹と「もうODしない」って約束したので絶対にしません。
間違った道を歩もうとしたら本気で心配してくれるのが嬉しい。
・やっと妹の布団が買えた、届いた。今日は泊まってくるらしいから明日セットする
・来年頑張って胸オペできたらいいなってぼんやり思った
恋愛の話
・相方ちゃんが相変わらずアホで愛しい、妹とも少しずつ慣れてきてくれて嬉しい
・作業所の女性(兄貴と同い年)が気になる
年上女性に惹かれると思ってなかったから自分で困惑している
・僕はモノアモリーなのかポリアモリーなのかどうかがわからない
他人を巻き込む話だから慎重に考えたい
・そもそも俺ゲイなの?バイなの?それともパンセク?
事業関連
・無料レンタルサーバー探したい、というか前までネットオウル使ってた気がする
なんかおすすめあれば情報plz
・人生無理しない方針に従って廃業届出そうか悩んだけどなんかもったいないな……と思ってそれは保留
・服は継続して売るし発信もやめない、ペースが今まで以上に落ちるだけ
ブログに書きたいこと諸々生まれた
・自分がFtMを自覚するまでの過程
・母親のこと
・僕が誰に話してもシスコン扱いされるぐらい妹が大好きってこと
・兄貴の服ではしゃぎすぎてブラコン扱いされるぐらい兄貴のことも大好きってこと
・それはそれとして関わる人一人一人に入れ込み過ぎでは?
僕はぼくの大切にしたいものを大切にするし、その他が優先できなくなったらちゃんと謝るのを大事にしようと思った。
既に信用を失ったりもしてるけど自分の撒いた種はちゃんと自分で回収する。
完全回復は無理でも相互のことをある程度わかった上で、終わるなら終わるでお互いに納得する形で終わりたい。
すぐには多分無理だけど。でも必ずちゃんと精算する。
悠長に構えすぎるのも問題だから目安は今年中。
2021/06/02 備忘録
全てを背負う覚悟を決めたから、二度と帰らないと決めていた場所に話をしに行った。
色んなものを預かった。
自分の母子手帳なんか見た事ないな。
どうして僕らは親に愛されなかったんだろう。
ぬくぬくと育って弱い人の懐につけ込む奴らが憎い。
自殺した友人2人のことを思い出して苦しい。
もうあんな後悔したくない。
本当に二度とあんな思いをしたくない。
空回ってでも遮二無二動いて鼻で笑われてを繰り返してる。
時折無力感と喪失感が同時に押し寄せてきて、気持ちの持って行き場がわからない。
なんで上手く生きていけないかが分からない。
自分のことをぐちゃぐちゃに踏まれた雑草みたいだと思った。
惨めにしぶとく生きている。
2021/06/01 備忘録
最近記憶がおかしいから備忘録を書かせて欲しい。
作業所、病院
・寝坊して鬼電で「今日病院だよ」と起こされる
・診察室で言葉に詰まっていたら相談員さんがベラベラと代弁してくれたけど少し的はずれだった。気になる症状はメモしていたけど話す気を失くす。
・明日から訪問看護来るらしい(他人事)
・作業所ではいつもどおり振る舞えた
・同い年の職員さんが元教員だったっと知って密かに尊敬することにした
・同じ志で生きてきたのにどこで間違えたんだろう
帰宅後
・元里親と児童相談所から妹分のことに関して受電。その後死んだように眠る。
・とても恐ろしい夢を見た
晩御飯
・寝すぎて米を炊き損ねる。一人分だけ炊飯器にあった。
・妹分が買い物にいくというので食材買うために同伴。
・妹分に「豆腐とキムチでいい」と言われたが、栄養素の足りなさが気になったので鶏むねのマヨ焼きとキャベツの千切り、しめじとわかめと豆腐の味噌汁を作る
・相方と俺は残った鶏むねとキャベツを投入した焼きそば
・買い出しからの帰宅後ずっとキッチンに立っていた気がする。
・俺のバイト先の先輩(同い年)が妹分を回収していった
わからないけどたぶんそれぐらい
いまのぼくにできることはこれぐらい
引きこもりだった僕がバイト先にマクドナルドを選んだ理由
なんのバイトをしても何ヶ月も続かなかった。
履歴書を作成するたびにうんざりするぐらい、色んなところでバイトをしてはメンタルを崩し、すぐに辞めるのを繰り返していた。
いっときは買い物にも行けないほどの引きこもりになり、自分で相談支援機関に電話してようやっと就労継続支援B型施設に、それでも休み休みで通っている。
そんな僕がつい最近、マクドナルドでバイトを始めた。
引きこもりから復帰したばかりで人前に出たくないからキッチンがいい、週2以下、超短時間のシフトで、とのわがまま欲張り頭ハッピーセットな希望でも、ありがたいことに「リハビリ程度でいいから一緒に頑張ろう!」と面接時に店長から即採用していただいた。
社員さんを除く他クルーには性別を伏せ、男性として働かせてもらっている。
システム上の問題でインする時に戸籍上の本名が表示されてしまうが、誰に見られるわけでもないし、店長に至ってはそれでも通称名で呼んでくれている。
支給された男性用ユニフォームがデカすぎて色んな意味で泣きそうになった。
これまで数多のバイトを経験しては即ヤメしてきた僕が、なぜ超絶忙しいと評判のマックに応募したのかを少し語らせてほしい。*1
支援級に通っていたかつての同級生
5年前、地元の駅前のマックで小学校の同級生が働いているのを見かけた。
その同級生は自閉症で小学生の頃は特別支援学級に通っており、コミュニケーションも苦手だったと記憶している。
驚いたのはそれにも関わらず、接客をそつなくこなしていたこと。
小学生時代の仲は良かったが、忙しそうだったので声はかけなかったが、頑張ってるなぁと普通に感心してしまった。
多分相手はこちらに気付いていなかったが、カッコつけてコーヒーを頼んだ。
苦くて飲めなかった。
帰宅後にマクドナルドの障害者雇用について調べたところ、かなり力を入れているようだった。
マックはブラックだという噂ばかり聞いていたから、マックで働く障害を持ったお子さんがいる親御さんからも評判がいいことにも驚いた。
僕と同じようでぜんぜん違う、レジの女の子
別店舗でマクドナルドを利用した時のこと。
しどろもどろに接客を頑張っているクルーの腕に(かなり治ってはいたが)傷跡があった。
客側からしたら感じ方はそれぞれかもしれないが、僕も同じような腕をしているのに彼女は頑張っていて感動すら覚えた。
ただ閉じこもるばかりだった僕と違って、本当に頑張っていた。
なにか言ってあげたくて、でも急に語りだしたらただの変質者になりかねないので、商品の受取時に精一杯の笑顔で「ありがとう」と伝えた。
そしてその店舗は今の僕のアルバイト先である。
彼女が今も働いているのかどうか、僕はまだ確認できていない。
もしまた会えたなら、少し踏み込んだ話をして改めてありがとうを伝えたい。
僕がここを選んで、さらにバイトを楽しいと思えているのは彼女のおかげでもあるから。
働いてみて実際に思ったこと
マクドナルドのクルーは性別も国籍も障害も関係なく*2働きやすい環境が揃っていると僕は勝手に思っている。ただはちゃめちゃに忙しい
失敗にガミガミ言われるどころか「誰でもやるから次気をつけてね」と言ってくれること*3
ポテトの入れ方が上手くなっただけで褒めてもらえること*4
同じことを聞いても嫌な顔ひとつせずまた教えてくれること*5
うちの店舗の社員組は優しいし当然店舗にもよるのだろうけど、マックはマニュアルがしっかりしているため、障害のあるなしに関係なく働きやすい職場だと思う。
ほかのクルーもフレンドリーで和気あいあいとしている。
社員さんの手を離れて仕事をすることになった僕のサポートに回ってくれたバイトの先輩たちに、バイト終わり「お疲れ様でした!お二人ともありがとうございました、失礼します!」と元気いっぱいに声をかけてバックヤードを飛び出そうとした時、「めっちゃいい子じゃーん」と言う声が聞こえてきて嬉しかった。
ただ、実年齢23歳の僕は、学生の彼らに恐らく見た目だけで年下だと思われている。
どこに行っても毎度のことでさして気にしてもいないし、変に敬語使われるのも嫌なので、今後歳は聞かれても誤魔化していく方針だ。年下だと思われてる方が得なこともある
僕とバイトと人との繋がり
マクドナルドという企業は人と人の繋がりを大切にしている。
僕の働いている店舗ではそこが徹底されている、と思う。他店のことは知らん
「よし、ハルキ上がろう!」
「はい、お疲れ様です!」
他のバイトだったらもっと長時間働きたいなんて思わなかった。
以前にたまたま休憩中だったシフトマネージャーと休憩室で話した。
「マックって意外と楽しいですね」
「うん、楽しいよ。……ハチャメチャに忙しいけど」
ですよね。
家に帰ったら相方にポテト臭いと言われた。
ですよね。
それはそれとしてマクドナルド、人生で一番楽しいバイトです。
僕の自傷癖、生きる理由
中学時代から自傷癖が酷かった。
はじめは腕をひっかくにとどまっていた(傷跡が根性焼きみたいだったから見た目的には一番タチが悪かったかもしれない)が、いつしか爪がカッターになり、傷の数も「見て見てwwwwwギロwwwwww」と反応に困る一発芸ができるレベルまで増えた。
高校入学3日目で心が折れ、登校を逃れるために初めてODをし、虫の幻覚に苦しめられて「もうODなんてしない」とマッキーばりのセリフを吐いた。
理由は虫が死ぬほど嫌いだからである。間抜け極まりない。
つい先月はメンタルが極限状態に落ち、現実逃避に初めて某かぜ薬ODに手を出した。もう薬物なんてしないなんて言わないよ絶対。
結果的にはひどい便秘に悩まされただけであった。白いうんPが出るという噂だったが確かめることすらできなかった。
本気で死のうとしたことがあったかと言われたら、その答えは恐らくNoだ。
計画まではした。
15歳の誕生日に死のうと思い、首吊りに適したロープを調べ、数ヶ月前から少ない小遣いを貯めて買う所まではした。
いざ誕生日になってみたら人生一番の祝われ方をしてしまい、死ぬまでの勢いを失った。
生きる理由なんて本当に些細なことなのかもしれない。
変わらない兄の優しさや誰より心配をしてくれていた彼女さんのこと、幼い頃から手紙を贈り続けてくれていた遠い街に住む次男のこと、底抜けに優しいその奥さん、口は悪くても1番心配してくれてる元里親のところにいる里子ちゃん(妹と呼んでいる)、僕のことを肯定しながら見守ってくれる今通っている作業所の職員さんたち、「リハビリ程度にシフト入ってもらえばいいよ」と言ってくれた新しく始めたバイトの店長、性別に悩む僕の話をずっと聞き続けてくれていた友人、性別なんて関係ないと手を取ってくれた今のパートナー。
時折それが走馬灯のように現れては消えて、子供みたいにボロボロと泣きじゃくる。
自傷もODもまだやめられそうにない。
なんでやめられないのかもわからないが、低い自己評価に対する自分なりの罰なのかもしれない。
それはそれとして、なんとなく30ぐらいまで生きられたらそれでいいかなと思っている。
体に負担をかけ続けているので、何かの間違いでポックリいくかもしれないがその時はその時だ。
死にたいわけじゃない、といえば嘘になる。
常に死にたいような気持ちはふわふわと頭で巡っている。
それでも僕のことを見守ってくれるという人がいるなら。
本当に生き続けるんだという意志を持てるその時まで、このバカな男をどうかよろしくお願いします。
先月まで死にたかったけど今はとりあえずガンダムに乗りたい。
年明けから最近まで1人で外に出られなかった。
憧れであった上に実際就いてみたら天職だと思えたぐらいの児童福祉系のアルバイトも行けなくなるぐらい、元々の鬱が酷くなってしまった。
兄の影響を受け、自分を振り返るnoteも書いていたものの、書き進めるうちに遺書めいた怪文書になってきたために破棄した。
まずいと思ったので生活相談の福祉サービスを自分で探し出し、酷く吃りながら電話をして、ネット上じゃないリアルな外との繋がりを取り戻そうとした。
それでも通院すらままならないほどに外に出られない期間は続き、詳しくは語らないがいっときは本当に死ぬ思いをした。
生活相談員さんからの働きかけが大きく、なんとか今は就労継続支援B型事業所に通えている。
以前別の事業所に通っていたことがあるが、今の事業所の方がより特性に寄り添ってくれるし何より話を聞いてくれる。
相談員さんが同伴してくれて通院も再開することができた。
パートナーもパニックを起こした時に宥めてくれたり、毎日服薬管理をしてくれたりと、精神面でも行動面でも支え見守ってくれている。
そのまま僕は自分を飾るのを辞めた。
意識高い系みたいなTwitterのアカウントからログアウトした。
パートナーばかりに金銭的な負担はかけたくないので、自分のペースでできるポスティングのバイトとUber配達員を始めた。
そして3月19日、250kmの距離と8年の月日(ついでに性別)を超えて、僕は実の兄に会いに来た。
歌を歌って、Tシャツをプリントして、お菓子を食べて、しょうもない話をして、おいしいご飯を食べて。
今まで出来なかった過去話を言葉にして、何となく自分の中で消化して。
人のためになりたいと必死になって消耗していた自分がいた。
見守ってくれる存在に気づいた今は、存外生きててよかったと思っている自分がいる。
少なくとも普通とは言えなかった23年だったが、今からでも少しずつ取り戻したい。
今の僕は音楽とガンダム、あとは僕を好きでいてくれる人が好きな少年だ。
事業所で仲のいい子と取り留めのない話をしながら、時に職員さんの言葉に救われながら、体力づくりにポスティングをしながら、配達で少しでも人と関わることに慣れながら、家ではパートナーに甘えさせてもらいながら。
僕はようやく生きている。
今の夢はガンダムに乗ることだ。
できればシナンジュに乗れると嬉しい。
ユニコーンはまだ途中までしか見てないけど。
なかなか天気と時間に恵まれないが、パートナーとはキャッチボールとサッカーをする約束をしている。
兄からはシャツのプリントの仕方を教えてもらったので、帰ったら自分で色々とやってみるつもりでいる。
しばらくはしたいことをして過ごすつもりだ。
いつか僕が本当に大人になれた時、誰かの手を取れるようになれたらいいなとただぼんやり思っている。
あまり薬が効いていないといえど、ほんの少し意識が朦朧とはしているので読みづらかったら申し訳ない。
兄ちゃんたちと過ごした数日間で、僕は少しだけ僕を取り戻せたような気がする。
それだけをどうしても書き残しておきたかった。
明日帰ってからも、この気持ちを忘れないままでいたい。
僕が本当に僕のスピードで歩いていけるために。