先月まで死にたかったけど今はとりあえずガンダムに乗りたい。
年明けから最近まで1人で外に出られなかった。
憧れであった上に実際就いてみたら天職だと思えたぐらいの児童福祉系のアルバイトも行けなくなるぐらい、元々の鬱が酷くなってしまった。
兄の影響を受け、自分を振り返るnoteも書いていたものの、書き進めるうちに遺書めいた怪文書になってきたために破棄した。
まずいと思ったので生活相談の福祉サービスを自分で探し出し、酷く吃りながら電話をして、ネット上じゃないリアルな外との繋がりを取り戻そうとした。
それでも通院すらままならないほどに外に出られない期間は続き、詳しくは語らないがいっときは本当に死ぬ思いをした。
生活相談員さんからの働きかけが大きく、なんとか今は就労継続支援B型事業所に通えている。
以前別の事業所に通っていたことがあるが、今の事業所の方がより特性に寄り添ってくれるし何より話を聞いてくれる。
相談員さんが同伴してくれて通院も再開することができた。
パートナーもパニックを起こした時に宥めてくれたり、毎日服薬管理をしてくれたりと、精神面でも行動面でも支え見守ってくれている。
そのまま僕は自分を飾るのを辞めた。
意識高い系みたいなTwitterのアカウントからログアウトした。
パートナーばかりに金銭的な負担はかけたくないので、自分のペースでできるポスティングのバイトとUber配達員を始めた。
そして3月19日、250kmの距離と8年の月日(ついでに性別)を超えて、僕は実の兄に会いに来た。
歌を歌って、Tシャツをプリントして、お菓子を食べて、しょうもない話をして、おいしいご飯を食べて。
今まで出来なかった過去話を言葉にして、何となく自分の中で消化して。
人のためになりたいと必死になって消耗していた自分がいた。
見守ってくれる存在に気づいた今は、存外生きててよかったと思っている自分がいる。
少なくとも普通とは言えなかった23年だったが、今からでも少しずつ取り戻したい。
今の僕は音楽とガンダム、あとは僕を好きでいてくれる人が好きな少年だ。
事業所で仲のいい子と取り留めのない話をしながら、時に職員さんの言葉に救われながら、体力づくりにポスティングをしながら、配達で少しでも人と関わることに慣れながら、家ではパートナーに甘えさせてもらいながら。
僕はようやく生きている。
今の夢はガンダムに乗ることだ。
できればシナンジュに乗れると嬉しい。
ユニコーンはまだ途中までしか見てないけど。
なかなか天気と時間に恵まれないが、パートナーとはキャッチボールとサッカーをする約束をしている。
兄からはシャツのプリントの仕方を教えてもらったので、帰ったら自分で色々とやってみるつもりでいる。
しばらくはしたいことをして過ごすつもりだ。
いつか僕が本当に大人になれた時、誰かの手を取れるようになれたらいいなとただぼんやり思っている。
あまり薬が効いていないといえど、ほんの少し意識が朦朧とはしているので読みづらかったら申し訳ない。
兄ちゃんたちと過ごした数日間で、僕は少しだけ僕を取り戻せたような気がする。
それだけをどうしても書き残しておきたかった。
明日帰ってからも、この気持ちを忘れないままでいたい。
僕が本当に僕のスピードで歩いていけるために。